あの人のB面 Vol.17 平野 大輔さん―全部全力! お客様はいいと思ったら絶対また来てくれる
ワールドグループで名前だけ耳にしたことがある“あの人”の、普段目にすることができないプライベートの部分や、これまでの人生について掘り下げていく「あの人のB面」。今回は、グループ執行役員であり、RAGTAGを運営する株式会社ティンパンアレイ 社長の平野 大輔さんです。

プロフィール
平野大輔(ひらの・だいすけ)/ワールド グループ執行役員 (株)ワールド サーキュラー事業本部 本部長 兼 (株)ティンパンアレイ 社長 兼 (株)アンドブリッジ 社長1976年12月生まれ。茨城県出身。「ラグタグ」で体験した接客に感動し、1999年に(株)ティンパンアレイに入社。千葉店、原宿店などの店長を歴任したのち、関西1号店の心斎橋店の出店プロジェクトに携わる。2013年に全店舗の店舗統括、14年に執行役員を経て、同年6月から現職。
ファッションの原点は“ 裏原 ”古着との出会い
本日はよろしくお願いします。平野さんにはお聞きしたいことがたくさんあります!
僕、B面ないですよ!そもそも自分のことはあまり話さないです、人の話を聞くのはすごい好きなんですが。
ではこの機会に平野さんについて詳しく教えてください!まずは生い立ちから、どのようにして古着というファッションに興味をもったのでしょうか。出身は茨城県と聞いています。
高校までは茨城県の常陸大宮市というところにいました。洋服は少しだけ好きでしたがそんなに知らなくて。時々家族と東京に来る機会があって、その時にアメ横の古着屋さんやスニーカーを売っているお店を見たのがきっかけですね。
進学で東京に出てから“裏原 ”にハマって。そこからすごい洋服が好きになりました。当時、裏原系の古着でリーバイスのヴィンテージとかスニーカーがすごく流行ってて。
いろいろ買い漁ったり、代々木公園でフリーマーケットに出したりして。もう毎週数十万売り上げていました!今みたいにネットで買えないから、足で色々な店を見て回っていいもの見つけては着たり売ったり。香港では当時スニーカーが安かったので買いに行ったり!この時代からこの仕事の才能があったんですね~(笑)
確かに今の仕事につながっていますね!でもその頃はまだ学生ですよね。
そうなんです!当時デニーズでバイトしてたのですが、フリマが終わってから売上金をそのままポケットに突っ込んで仕事していました(笑)
とりあえず、欲しいもの全部買って、好きなやつは置いといて、あとは売って。
スターウォーズとか、トイストーリーみたいなアメリカのおもちゃも集めてて。今もいっぱいあります。
茨城の実家の倉庫に買い集めたスニーカーと一緒に置いています。田舎なんで広いんです。すごい量なので、家に置いておくと妻に捨てられるので、実家に避難させてます(笑)1人暮らしの時は自分でトランクルーム借りて置いてたくらいオタクです。今もその癖が治らないんです…

「接客」に衝撃を受けたラグタグとの出会い
すごいですね(笑)ではその時代から古着を見る目を磨かれたってことですね。
もうずっと原宿にいて色々な店を回って情報収集していました。
ちょうどその当時、原宿・渋谷にラグタグがあったので通っていました。「ラグタグ」は1985年にできていて、僕が裏原にいたのが95年頃です。古着のお店はたくさんありましたが「接客」がいい店って全然なかったんです。特に裏原系はどっちがお客さんだかわかんない感じ(笑)
でも「ラグタグ」に行くと本当に良い接客をしていて。いつも元気で感じも良くて。それに衝撃を受けました。
服は好きだったけど、アパレルに就職する気はなかったんです。だけど、「ラグタグ」は、みんなが一生懸命同じ方向に向かって仕事してる感じがすごいあって。そこに感動して入社しました。
なんか一生懸命仕事したかったんですよね。ちょっと仕事して、プライベートの時間楽しくとか、そういうのあんまり嫌で。
全力で仕事がしたいみたいな。それは今も変わっていません。
もう“ 全部全力 ”でやりたいから、そういう打ち込めることがしたいって。ここだったら打ち込めそうって思えたのが「ラグタグ」でした。
こどものころから変わらない“ 全部全力 ”
今もまったく変わらないということですが、「全部全力」はこどもの頃からそうだったんですか。
全く一緒です!!
なんでも一生懸命“ 全力 ”でやる人間なんで、基本変わってないですね。同窓会に行っても「何も変わんないね」って笑われちゃうぐらいなんで。
子供の頃からもうずっとこうです。もう根っからですね。
明るい、ポジティブ、うるさい、落ち着きない、ずっとそういう感じ(笑)
納得です(笑) 何かスポーツなどはされていたのでしょうか。
小学生から高校まで野球やってました。
チームは強かったのですが途中で肘を壊してあまりできませんでした。365日、雨の日でもずっと練習しているような時代だったので。照明つけてもらって家の中でもティーバッティングしていました。もうちょっと考えてやればよかったなと、今になって思います。
だから今と全然変わんない感じですね。ずっと変わんないって言われます、誰からも。いいのか悪いのかわかんないですけど。
平野さんの原動力はどこからくるんだろう、と思っていましたが、こどもの頃からずっとそうなんですね。
もう自分でもいつからかわからないけど、
小さい頃からとにかく「自分で全てを決める」という教育でした。 全て自己責任だから自分で決めて生きるというのを強く言われていましたね。
だから「意思決定は全て自分の責任」っていうことは小さい時から意識してました。
何か決める時は自分の責任において決めなくてはいけないけど、それは自分が やればどうにかなるんだと思ってました。
「ラグタグ」店頭からティンパンアレイ社の社長へ
原宿で「ラグタグ」と出会い、大好きな古着の世界へ入られましたが、店頭からどのようにして社長にまでなられたのでしょうか。
99年に入社しましたが「ラグタグ」はイメージ通り、当時DCブランドブームもあってめちゃくちゃ忙しかったです。最初は渋谷店にいたのですが、12時オープンと同時にレジに入ったら、そこからずっとレジのまま夜7時みたいな。休みの日もミーティングしてたり!(今ではあり得ないですよね)
2年目はバイヤーをさせてもらって、それがめちゃくちゃ面白くて!値段付けて、それが売れて、服好きなお客様とお話して、顧客様になっていただいて。そのあと店長になりました。
そして2005年に関西に出店することが決まり、そこに自ら手を上げて関西1号店の心斎橋店の出店プロジェクトに携わることになりました。
2014年に創業者が退任して僕が社長に就任しました。
もともと社長には興味がなかったけど、会社がすごい好きだったし、自分で色々やってきてお店も広げてきたのもあったので、会社を大きくするためのことはしたいとずっと思っていました。
社長になったら自分の知らないこと、できないこともすごく多くて。最初の1、2年は大変でしたけど、色々 な人に助けられながら勉強しました。
社長になるのと同時に上場に向けての流れも始まりました。
経験値ゼロからのスタートだったのでめっちゃくちゃ大変でしたけど、勉強しながら実践して。仲間も増えたので、それでなんとかやってきましたね。
それから2018年にワールドグループに入りました。
やるしかない。自分が変われ。
子供の頃からの意思決定は自分であると思っているので、人のせいにはできないし、してもしょうがない。 自分がやれば何でもどうにでもなる。やるしかないみたいな。
「人を変えられると思うな、自分が変われ」って、ひたすらそう思ってます。
今となってはありがたいと思ってます。
そのような教育方針で育った平野さんですが、ご自身のご家族のことを教えていただけますか。
こどもが男・男・男・女の4人で、6人家族です!
大家族ですね!こんなに忙しい中ご家族との時間はどうやってつくられているのですか。
長男と次男がサッカーやっているので、休みの日は基本付き添いです。家族とゆっくりご飯を食べるのは休みの日くらいです。休みの日は家事もします、料理も作りますよ!
あと、僕、寝ないんで。
噂は聞いていますが、それって本当なんですか!?
それが最大の強みです!
でも寝ないって書いちゃうと、みんな引くでしょ(笑)
睡眠時間は3時間、一瞬にして熟睡で夢も見ません!春の花粉症の時だけ4、5時間くらいだけど、目覚ましもかけずに起きれます!
目覚めもスッキリで、起きた瞬間からPCに向かって仕事してます、もう特技ですね!
以前、間違えて6時間とか寝ちゃって、めちゃくちゃ具合悪くなりました(笑)
休みの日はたまに少し昼寝することはありますが。
・・・聞いたことないです、そんな人。体調悪くなったりしないでしょうか。
2年に1回くらい、2日くらい立ち上がれないほど、謎に具合が悪くなることがあります、これは謎なんですよね~
それ、ぜんぜん謎ではないです…
でもね、運動はしてます。元々走るのが好きだったんですが、社内の人と一緒にハーフマラソンやフルマラソンに出たのをきっかけに、走る癖がついて。
たまに帰りに1人で皇居のランニングステーションで走ってます。1周5キロなんですけど、2、3周ぐらいして帰ります。
やっぱり、運動って仕事にもすごい良くて。走ってると、携帯も触れないじゃないですか、だから走りながら頭の整理ができるんです。
休みの日に走ると、1週間の振り返りができたりして、すごくスッキリしていいんです。
すごいバイタリティですが、そのパワーはどこからくるのでしょうか。
好きなんです、“ 全力”でやりたいんです、いつでも。
あとは落ち込まない!ぐだぐだ悩まないで、わからないことは調べる!本買って読んでます。通勤の行き帰りは基本インプットに使ってますね。




平野さんは社長という立場ですが、社員との距離感はとても近いように見えます。いつもそのままですか?
社歴の長い社員はキャラを理解してくれていますが、新人には驚かれますね、「あ、そんなに明るいんですね…」とか、「そんなにお話してくださるんですね」って(笑)
基本は明るい方がいいじゃないですか。300人くらい社員がいるので社員にとっても会社が良くても悪くても、明るくいるって、もうそう決めてます、決めるんです!
お客さまがいいと思ったら絶対また来るから
以前、国立の倉庫に伺った際、熱いスローガンが掲げてあったのが気になっていました。
それは創業者がつくった企業理念を自分たちで今の言葉にしました。理念を軸にした会社なので、なんで事業やってんだっけとか、何したいんだっけって、そこがすごい大事なんですよね。
創業者が最初から「おしゃれになりたいけどなれない人、お金がなくておしゃれになれない人をちゃんとおしゃれにする」これが我々のミッションだということで始まっています。
だから理念は常にものすごく意識してます。
「何のために事業やってるんだ」って。


企業理念は社員の皆さんにも浸透しているのでしょうか。
はい、それはしっかりと浸透しています。
何のためにやってるのか。
利益は目的じゃなくて手段。おしゃれになりたい人、お金がなくてもおしゃれになれるようにするのが仕事だから。
「お客さんに楽しんでもらって、ファッション好きになってもらう、そのために一緒に楽しむ。だから自分たちもおしゃれ好きにならないとダメだよ」って。
「僕たちは仕事だけど、お客様にとっては仕事じゃないから同じ気持ちになろうね」って。
そうしたら、お客さまはまた来てくれる。ずっと来てくれたら、結果として絶対業績もついてくるはず。
お客さまはいいと思ったら絶対また来る
ずっと来てもらうことが一番大事、そういうこと。
すごく、素敵です。お客様にとっても、社員にとっても変わることなく素晴らしい理念です。確かにラグタグのお店はいつ行っても皆さんおしゃれで、元気で明るいです。
そうなんです、社員みんないい人。いい人なのにおしゃれって最高でしょ(笑)
自分たちのポジションを明確にしてお客さまに伝え続ける
最後に、今後の抱負を教えてください。
これからもマーケットは広がっていくと思います。オフプライスもまだまだ可能性がある。リユースは日本でもすごく伸びてて、プレイヤーも増えてますが、可能性はすごくあるので、難易度は高いけど面白い。
競争相手がたくさんいて大変だけど、そこでちゃんと成長できてることは、ラッキーだし、こんなに面白いことはないですね。
リユース業界は、どの場所で自分たちが戦うかをはっきりさせていければ、絶対勝てる。だから「ラグタグ」はちゃんと憧れのブランドがある、ちゃんと自分たちのポジションを明確にして、お客様に伝えて広げていくことです。
日本ではまだまだやれることがいっぱいあります。
ラグタグやアンドブリッジはグループのサーキュラー全体のリソースを使って調達力を上げることができるので、 アンドブリッジも成長させて、オフプライス市場を日本の中での勝ちパターン作っていきたいと思っているので、それもめちゃくちゃ面白いです。

もうやることは満載ですけど、これ以上睡眠時間は削れませんね、さすがに(笑)
あと、グループの皆さん、めっちゃいい人ばっかり。本当に助かってます。
それは平野さんのキャラクターがそうだからだと思います
最近はグループのメンバーでフットサルやってます!前回は20人くらい集まりましたね。色んな事業部の人がいて、はじめましての人も多いのですが、そのあと仕事で会ったときはすごく助けていただいたりとかして。
あとは野球観戦も行ったりしてます、巨人ファンです!





取材を終えて
今回のインタビューでは、溢れるくらい平野語録を聞くことができました。どうしてこんなにポジティブで、周りも笑顔にさせるのだろう、エネルギーの源は一体どこに。編集部も全部全力で向き合うパワーを分けていただきました。多様な着こなしの広がりとサステナブル視点に、インバウンド需要も加わり「ラグタグ」人気は高まるばかり。店にも、メンバーにも平野さんのパワーが隅々まで伝わっているのだと感じました。







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