あの人のB面 Vol.18 吉田 玲子さん ー いかに多くの経験のピースをつくり、それをどうつないでいくかー 

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ワールドグループで名前だけ耳にしたことがある“あの人”の、ふだん目にすることができないプライベートの部分や、これまでの人生について掘り下げていく「あの人のB面」。今回は、グループ執行役員 海外事業開発室 室長 兼 デジタルリテール推進本部 副本部長の吉田 玲子さんです。

吉田 玲子(よしだ・れいこ)/グループ執行役員 海外事業開発室 室長 兼 デジタルリテール推進本部 副本部長 上智大学 法学部卒業後、2000年にアクセンチュア入社。デロイト トーマツ コンサルティングを経て、AIGおよびメットライフ生命でHRビジネスパートナーに。その後ライフネット生命に転職し、上場を経験。2014年にはマサチューセッツ工科大学に留学し、MBAを取得。ニューヨークでの勤務後、産業革新投資機構に入社。2020年にワールドに入社し、グループ人事統括室 室長を経て現職。

子どもの頃から“世界はもっともっと広い”と先を見ていた

吉田さん、本日はよろしくお願いします! お伺いしたいことがたくさんあるのですが、まずはどんな“こども時代”だったのでしょうか。

母の実家の福井で生まれたのですが、すぐに横浜に引っ越しました。幼稚園から小学校3年まではエスカレーターでそのままカトリックの女子校に通っていましたが、小学校4年生のときに父の転勤を機に名古屋に引っ越しました。

卒園式で(前から2番目)、七五三の着物姿

幼稚園からずっと女子校で、転校は環境の変化が大きかったのでは?

それまでは同じ顔ぶれの女子ばかりの同級生とずっと過ごしていたので、男子と机を並べるのも初めてでしたし、電車じゃなくてみんなで歩いて学校に行くのも、給食も、制服がないのも、全てが新鮮でした。転勤が決まったとき、両親から「今の学校に残りたいか?」と聞かれて「転校して名古屋に行きたい」と即答したのは、やっぱり違う世界を見てみたかったからなんです。

小学3年生で「違う世界を見たい」なんて、大人びていますね。

本を読むのが本当に好きだったんです。学校の図書室にある本はほとんど読んじゃったぐらい。本の世界から、世の中にはいろんな人がいるんだなと想像をしていました。名古屋にいたのは6年生までで、中学校からはまた東京に戻りました。

女子高時代 左)左から2番目、右)右端

そのあと、大学はどんな勉強を?

大学は法学部で、国際関係法学科でした。当時外交官になりたくて、国際法や国際政治を学んでみたかったんです。

法学部で学ぶ一方、サークルなどはされていましたか?

大学の時は競技スキーをやっていました。1年の時に、結構本気だったんですよ。夏場には氷河の上に雪が残っているイタリアやオーストリアにまで合宿に行きました。

学生時代、競技スキーサークルの仲間達と

こどもの頃本が好きとお聞きしたので、スポーツもされるとは意外! その後大学を出て就職先は?

大学3年生の頃から司法試験に向けて勉強していて就活せずに卒業してしまったのですが、自分で決めた期間で受からなかったので就職することにしました。ところが当時は既卒者が新卒として扱ってもらえず、何の経験もないのに中途採用枠で就職活動をしなければならず苦労しました。結局、既卒でも新卒として通年採用していた数少ない企業の1社である、アクセンチュアに入社しました。

多様なキャリアを経て見つけた新たな挑戦

アクセンチュアが社会人の一歩になられたのですね?そのあとも数社経験をされています。

左)新入社員研修 右)同期の仲間と共に

アクセンチュアの後何社か転職し、当時上場準備中だったライフネット生命に入社しました。上場を無事に終えて、1年ほど経ったとき次のキャリアについて考えるようになり、もう一度勉強し直したいと思い留学を決意しました。

ものすごく濃密な経験をされた20~30代ですね。40歳を前に一旦留学にチャレンジされた。

ある日急に思い立って留学し、1年間のMBAプログラムで学位を取りました。渡米するまでの準備期間も短かったですし、法学部だったので経済のこともよく知らないまま通常2年のカリキュラムを1年に詰め込んで学んだので、週末もずっと宿題かテスト勉強をしていてめちゃくちゃ大変でした。卒業できないと今まで貯めたお金をほとんどつぎ込んだ学費が水の泡だ!と思って必死にやり切りました。大学院卒業後は3年ほどニューヨークで働き、2018年に帰国しました。

留学時代、マサチューセッツ工科大学にてゼミの仲間達と

ニューヨークから帰国し、さらに新たな挑戦への道筋

ニューヨークから戻られてからは、再び東京で仕事を?

当時トランプ大統領が就任したばかりで、外国人に対する風当たりが強くなっていた時期だったので、今後のことを考え、帰国を決意しました。帰国後は産業革新機構という官民ファンドに就職しました。日本だけでなく海外でも日本のファンドとしては最大規模の投資をするということだったのですが、お家騒動で立ち消えになりまして、今後どうしようかなと考えていた時に、ご縁がありワールドに入社させていただきました。

「与えられた時間と体力の中でどれだけいろんな経験ができるか」は人生のテーマ

寿命という限られた時間と体力の中で、できるだけ多くの経験をしてできるだけ多くのことを知りたい、というのが私の人生のテーマです。その結果、今までに習い事は40個以上経験し、旅行も国内46都道府県、海外45か国訪れています。

そのあと、ワールドに入られて、どのような仕事を経験されましたか?たくさん兼務されていますね。

最初にグループ人事統括室に入り、その後人事を兼務しつつ同時にコロナ禍中に販売指導部を立ち上げました。緊急事態宣言から始まり長引く外出自粛もあり、お客様にどのように接するべきか店舗でも模索していた時期でした。全国のドレッサーの皆さんと、店舗に来られるお客様とまず安心してコミュニケーションし、そんな時期でもお客様にお買い物を楽しんでいただくための後押しができればと考えWSPの皆さんと活動を始めました。
その後販売指導部が順調に軌道に乗ったので自分は離れて、デジタルリテール推進本部とファッション・コ・ラボも兼務することになりました。現在は海外事業開発室とデジタルリテールを兼務しています。

人事とデジタルのお仕事では、まったく違う種類の仕事じゃないかなと思うのですが、新たな仕事に取り組む秘訣があるのでしょうか?

デジタルマーケティングの世界はトレンドが移り変わるのも早いのですが、考え方の基本は変わらないと思っています。新しい技術についてはウェブのセミナーでいくらでも聞けますし、チームにいる経験者からも話が聞けます。それよりも、会社としてどうすべきか、チームとして何をしたいか、どうなりたいかを定めて、そのために何をしないといけないかを考えるのが重要だと思っています。

新たな課題に向かう時、どうやって乗り越えているのでしょうか?ストレスはないですか。

苦労している感覚もなくて、むしろ好んで課題に向かっている気がします。実は私、コロナ禍中に健康に意識が向いて自分の遺伝子検査をしたのですが、健康より私の性格がかなり遺伝子に影響されていたのだなという発見がありました(笑)。特に納得したのが「好奇心遺伝子」「社交性遺伝子」「創造性」あとは「リスク選好型遺伝子」があるという点でした。

挑戦して向き合っていくことに対しては全然苦ではないということですね。

振り返ると、20代から30代の間は自分の知識や経験のなさで思ったようにできず、悔しい思いをすることは多かったです。
40歳を過ぎたあたりで、今までの経験の積み重ねで徐々に点と点が繋がること増え、自分の知識と経験をどう応用していくかっていうフェーズに入ってきたのかなと思います。

いつも仕事にご自身のメンバーと前向きに向き合っている様に見えます。

昔は終業後のコミュニケーションで人間関係を深めることも多かったのですが、コロナ後は仕事をする中でできるだけ楽しさを感じてもらいたいと思うようになりました。チームの皆さんには「また無理を言って…」と思われているかもしれませんが、「無理だと思ったけれどやってみたらできた」「やりたくなかったけれど、やってみたら案外面白い仕事だった」と実感してもらえたらいいなと思い、ハードル高めの目標を設定して思い切りお任せしています。10年後でもいいので、「あの仕事をやってよかったな」と思ってもらいたいというのが私の願いです。

熱意のないところに成功はついてこない。海外事業をセグメントの柱に

これから広がる海外事業は「タケオキクチ」や「ラグタグ」で芽も出ていて楽しみです。

そうですね。今はブランド事業とデジタル事業、プラットフォーム事業の三事業がありますが、海外事業がワールドの事業セグメントの柱として成立するぐらいの規模にはしたいです。小売の変化は激しく、ワールドは競合他社に比べて海外事業については後れをとっているので、どれだけスピードを上げて拡大できるか、この5年が勝負だと思っています。海外事業としてはワールドの商品の需要がある国、市場を探してくるのですが、一方で事業側にも海外に市場を拡大していきたいというやる気と熱意があるかどうかも重要です。

そういう意味では、前回のB面に出られた平野さんは海外進出にも積極的ですか。

平野さんはめちゃくちゃ積極的です。どこか特定の国に日本の「ラグタグ」を持っていくというより「“RAGTAG Global”として世界全部を相手にしていきませんか」とお伝えしたら「いいね!やろう、やろう!」と躊躇なく応じていただけました。

今年3月にバンコクで行った「ラグタグ」ポップアップ時に、メンバーと(奥はティンパンアレイ 平野社長)

吉田さんのこれからの目標は何ですか?

ひとまず仕事でいうと、海外事業での目標達成をすることです。
現在中期戦略と事業計画を立てている最中ですが、かなりアグレッシブなレベルの計画を立てています。既成概念の枠を取っ払って、世界のどこでどんな商品が売れるか考えてみるのはとても面白いです。例えばインドやブラジルだったら、何が売れるか。「タケオキクチ」のスーツはどこの国で売れそうか。
私達の持っている経営資源と長年培った信用を最大限活用し、今何に投資したら一番早く目標に近づけるのか、発想の転換をすることが必要です。今後は「うちの商品はこれなのでこれを売ってください」じゃなくて「この市場でシェアを拡大するためには、この商品が必要なので、開発してください」という提案も各国からしていきたいと考えています。

いかに多くの経験のピースを作ってそれをどうつないでいくか

やはりクリエイティブな遺伝子と関係があるのかもしれませんね。

米国に留学した時、私は仕事もなく知り合いがいたわけもなかったので、蓄えを切り崩しながら、自力で生きる場を見つけなければなりませんでした。アメリカでどうやって生きていくかを考えた結果、自分の持っている特徴が役立てる場所を探しました、しかし異国の地ではそんなに役立てることもなく、プライドを捨ててとにかく誰にでも助けを求め助けてもらいながら生き延びたという感じです。
当社で新しい国で新規事業を立ち上げるときも、同じことかなと思います。その地で求められる商品・サービスを模索し、今自分の持っている資源を活用し、伝手をたどってお願いしながら、現地の人たちからの信頼を得て初めて海外でも自分たちの居場所を作ることができると考えています。

吉田さんがこれまで影響を受けた人物はいますか?

ライフネット生命保険の創業者、APU立命館大学の前学長の出口 治明さんです。出口さんは歴史にも精通されており、ご自身でも多数執筆しておられます。人類の歴史から見た物事の本質をシンプルにわかりやすく伝えていて「アウトプットを出すには『人・本・旅』からのインプットが不可欠」「物事の判断には、タテ(歴史的視点)ヨコ(グローバルの視点)算数(数字ファクトロジック)を用いるべき」などの言葉には深く腹落ちしました。
最近の出口さんの著書「教えるということ」には、「教える」立場の人が理解すべき本質が詰まっていて、感動のあまり自分の周りの「教える」立場にある友人に買って配りました(笑)。マネジメントする立場の方、お子さんの教育に悩まれている方にはお薦めです!

ベストを尽くさないと、次のステージは見えてこない

「教えるということ」ぜひ私も読んでみます!
吉田さんからみて、20代のうちにやっておいた方がよいことは何でしょうか?

人事を担当していた際に、新卒の人たちに伝えていたのは「できないことは当たり前でも、できないことに対して言い訳をしない」ということです。お客様は常に最上のサービスを求めておられますから、新人だからという理由で自分に言い訳をせず、正面からお客様に向き合って自分なりのベストを尽くしてほしいと。

先日ライフネット生命時代に自分が新卒で採用した方から、「吉田さんから言われた『オリンピックを目指すのに、2位を目指したらオリンピックには出場できない』という言葉は今でも思い出します」と言われました。実際そんなことを言ったかまったく覚えていませんでしたが(笑)、もし自分に妥協してしまうと、そこまでしか到達できずその先はない。手を抜いたことは何より自分が一番よくわかっていますので、達成感も困難を乗り越えた後の自信も得られず「所詮、自分はこんなもん」と新たなチャレンジに向かうことは難しくなるだろうな、とは思っています。

吉田さんは「所詮自分なんて」という気持ちにはならないような。妥協されない感じがします。

できるだけ妥協はしないように気を付けています。もちろん心が折れそうになることもありますよ。今言うと面倒だなとか、言ったら嫌われそうだな、という葛藤もありますし。でも今気づいたら伝えないと、小さいひび割れが大きくなっていく気がして。一見細かいことなんですけど、例えばECサイトの「この文章は分かりづらいから変えてほしい」とか「このページの色使い・スペースのバランスをよくして」とかまで言います。細部への妥協なさや気遣いって、お客様にも伝わるものではないかと思っているので。

MOVING編集がいろいろお伺いしたため、インタビュー終了時にはすっかり日が暮れ、場所を変えて撮影。「ファッションは“色”を重視します」と吉田さん。取材日もシフォンの華やかなワンピースで

取材を終えて・・・「あの人のB面」のインタビューはいつも聞きたいことが溢れて時間が足りなくなります。図書室が好きだった吉田さんがこどもの頃に影響を受けた本やNYへの留学までもっともっとお聞きしたかった。そして色んなことに「何とかしたい」と挑戦するパワーも分けていただきました。吉田さんにはまたお時間をいただきたいと思います!(MOVING編集)

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